lulu lalala's blog

確かかなと思った言葉を気ままに。

【ひねくれ者でも余韻に浸れる】劇場版『金田一少年の事件簿2 殺戮のディープブルー』 2度観が必然の奥深さ

※例えば、「スーパーの出入り口を出た直後、わざと大袈裟にマスクを外す」と公言し、家族や友人から煙たがられている、そんなひねくれ者でも、観終わったらきっと余韻に浸れるだろう映画をセレクト。感想を寄せてみました。気の向くまま、順次アップしていく予定です。

今回は・・・。

 

金田一少年の事件簿2 殺戮のディープブルー』

 

目次

 

あらすじ

東映アニメーションの作品紹介からの抜粋)

神秘的な海底遺跡や最高級のホテルを売り物にしたアドベンチャーリゾート“ディープブルー・アイランド”。
はじめと美雪、そしてふみの三人は、不動高校の先輩でミス不動高校にも選ばれた美少女・藍沢茜に招待されて、バカンス気分でこの島にやって来た。

島の開発を手がけた藍沢グループの会長・藍沢秀一郎の一人娘である茜は、彼女のもとに突然届いた奇妙な手紙の謎を解いてほしいとはじめに依頼する。その手紙に書かれていたのは“キングシーサー”と名乗る者からの恐るべき予言だった。

その夜、突如謎のテロリスト集団により、超高級ホテルが占拠された。中にいたのは、はじめ、美雪、ふみ、茜、秀一郎に加え、秀一郎の妻・由理恵、長男で社長の優、秘書の赤森、茜の家庭教師・周防、考古学者の若林、そして謎の少女・巫琴。

彼らは完全に閉じ込められ人質となる。そしてついに、はじめたちの目の前で最初の犠牲者が・・・。

 

魅力的な真犯人

DVD化されていないのか・・・。いい作品なんだけどな。

アキラや攻殻機動隊がマニアに受けるなら、殺戮のディープブルーだって評価されていいと思うのに・・・。

 

ストーリーの軽快さ、愉快さの満足度は高くないかもしれないど、観終わって分かる真犯人の悲哀を知った後にまた観ると、作品全体に流れる雰囲気の意図が伝わってくる。

 

初見だと、間が悪いかなと感じる演出が、2回目には、事件の背景を踏まえてわざと仕掛けた「歪み」に映ります。

 

 

何度も観返したくなるのが名作とされる中、殺戮のディープブルーは「2回以上観て本当の観賞が終わる」という意味で稀有な映画です。

 

・・・人の運命は幼少期に決まる(決まってしまう)。思うに、現代流の教育理論と相反する一つの真実が、犯人を凶行へと誘います。

その悲劇には、「賢い」人ほど陥りやすい。

 

ここで指摘する「賢さ」とは、自分の身に降りかかった出来事を懸命に咀嚼し、意義を見出そうとする心構えのことを指します。

 

この賢さが備わっている人ほど、過去の経験を胸に刻み続ける。経験の衝撃が大きければ大きいほど咀嚼に時間がかかり、その過程でようやく得た考えは、長い試練の産物、絶対的な価値として体に馴染んでいく。

幼少期に運命が決まるとは、こうしたフォーマットから生まれる宿命の一種です。

 

殺戮のディープブルーの真犯人は少年の頃、親同然の恩人を殺されています。作中では「自分は感傷的な人間じゃないと分かった」などと豪語しますが、ラストシーンで見せる表情は正反対の姿を切り取っています。

 

あの場面に到達するために、殺戮のディープブルーの脚本は書かれたように思う。

 

経験に学ぶというのは、見方を変えれば、いつまでも過去に囚われているとみることもできるでしょう。

 

ある程度年を取ってからの失敗と違い、若い頃の憎悪・怨恨・忸怩は若さゆえに処理の手はずが分からず、火種はくすぶり続けます。それだけに、様々な年代の中でも幼少期の記憶が最重要のピースになる。

三つ子の魂百まで、とはよく言ったものです。

 

以上のような考え方は、現代流の教育理論からすれば、「どんな人間も努力次第で辛い過去を乗り越えられる」と反論したいところではないでしょうか。

 

過去に負けず頑張る人たちは、確かに沢山いると思う。重い過去を背負った誰もがみな、悲劇に突き進むわけではありません。

 

と同時に、そうでない人たちもやはりいる。いや、そうでない人たちだって、そもそも自分たちが過去に負けたと思っていない可能性がある。

 

過去との向き合い方を「乗り越える」とか、「負けない」だとかいった勝ち負けの視点で捉えているうちは、本質的心情の理解から遠ざかってしまう。

 

この点を無視し、希望だけ強調して人生論を済ませるなど自分にはできません。あえて絶望に寄った見解を考察するのは、絶望の正体・発生源に迫ることで身に付く強さがあると思うからです。

 

他人に絶望を理解してもらうことで、助かる(助かった気がする)人だっているかもしれない。

・・・こんな能書きを、仮にあの犯人がどこかで聞いていたら、その可能性がある人間関係に恵まれていたら。

 

雀の涙ほどの慰めに過ぎなかったとしても、自分が物事を解釈したり、解釈したものを文章にしてみたりする動機・原動力の一部がこれのような気がします。

 

あえて言えば、金田一少年の未熟

金田一はじめの卓越した推理力の源泉は、他者への強い共感力にあるのではないか。

そんな妄想がいつからか頭を巡っている。

 

ミステリーものの性質上、終盤の推理に合わせ犯人の哀れな過去が明かされるのはよくあること。

 

推理を明かし、犯人と対峙する時のはじめの態度は、ときに犯人に対し同情的に描かれます。

トリックを暴くために、犯人の考え方や性質からまず想像するのは、あり得るアプローチです。その想像が正確に近いから、高い精度でトリックを見破れるのかもしれない。

 

そんな設定は明かされていませんが、あながち的外れでもないキャラクター考察だと思っています。

 

けど、だとすると、一つの不満が。

 

なぜ金田一はじめは、持ち前の共感力を普段から発揮してやれないのか。

 

能ある鷹は爪を隠す。だから「推理力」という能を平時は伏せ、おちゃらけキャラで振る舞うのは理解できます。

だけど、共感力まで推理と一緒でなきゃ発揮できない理由はないだろう。

 

金田一はじめが性格の深みを普段から発揮できていれば、面倒な推理力を駆使する前に、犯人が犯行を思い止まっていたケースがあるやもしれない。

 

そりゃあ、物語的には破綻を招く要求ではありますが、金田一少年の事件簿って全何話あるのか知らないけど、1話くらい、事件を起こす前に犯人を救う回があったっていいじゃない。(もし既にそうした話があったら、ごめんなさい)

 

殺戮のディープブルーの犯人は結構なお気に入りだったから、叶うなら救ってほしかった。

救われて、婚約者と歩む新たな日々を見てみたかった。

 

脚本的には相当複雑になりそうですけどね。

 

犯人が死ぬ結末だから今だに印象が強く残ってる可能性は大いにあるので、あれはあれでで良かったと思っています。

観賞後に余韻と想像が膨らむ映画の典型だったかな、殺戮のディープブルーは。

 

本作の主人公は間違いなく金田一はじめですが、描かれたのは犯人の内面だったと言える。準主役が主役を完全に喰った形です。

単なるTVアニメの劇場版だと高を括って観賞した人は、TV版と異質な世界観に戸惑うことでしょう。

DVD化されてないのも、観客の戸惑いが低評価につながってしまったからかも。だったらなおさら、もう一度・二度と観てみたほうがいい。

 

初見が子どもの時で、以降、本作は観ていないという人は試してみる価値ありだと思います。むしろそんな人こそ、何倍にも楽しめるチケットを有している。自分はそうでした。

積み重ねた自分の知恵や感情が、過去に出会って忘れていた作品の価値を自然と高めてくれる。その機微が分かるようになるまで、とりあえず今日明日を生きるのは十分ありだ。

 

・・・それにしても、マジでDVD化されてないのか。

Amazonには2万円近くするVHSしか売ってなかった。さすがにそこまでして観るのはお薦めしない。アニマックスとかでなら、そのうち観られるかも。

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